公然の秘密―続編 罠にはまった裁判―連載12 (日本一のヒバ林の隠された謎に迫る) |
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土地台帳137番の謎と堂の上の土地取引に関する補足 ア)137番なる土地台帳の謎 実は、林野庁と投資家間の法廷闘争が始まった後、何時頃の時期かは分からないのだが、林野庁が127林班を含む一帯の土地は国有林であり字牛滝川目137番として土地台帳に登録されていると主張し、その登録台帳を証拠提出している。実際に林野庁によって証拠提出されたものの写しではないが、法務局で取得したものがあるのでここに添付する(資料18「137番の土地台帳」)。それによるとその面積は720町という広大さである。 しかし、そもそも、こうした書面が出てくること自体、胡散臭いのである。本来、土地台帳というものは租税を課するために私有地を対象に制度化されたものであり、そこに国有地を登録するというのは変な話なのである。しかも、この137番の土地台帳には「明治31年法律第32号により増徴地租」なるスタンプが押されており、その体裁が官有地であることと相容れないのである。ちなみに、本ヒバ林の地番である130番の土地台帳は添付のようなものとなっている(資料19「130番1の土地台帳」)。当然であるがそこには137番と同じように「・・・増徴地租」なるスタンプが押されているが、これは同土地が私有地であるから当然のこととして受け入れられるのであり、国有地とされる137番の土地台帳に同じスタンプが押されていることが不可解なのである。 ちなみに、スタンプで押された法律第32号なるものをネットで調べると下記のような解説が付されている。
要するに、この法律は土地所有に対する固定資産税の税率を上げるためのものなのである。そうであれば、本来、官有地には何の関係もない法律のはずである。 こうした137番にかかる土地台帳への疑問から、私は3年ほど前に関東森林管理局に一般論としての官有地の土地台帳への登録の是非を問い合わせたことがある。その結果は、営林署(森林管理局)として官有地に地番をつけることはあるが、それは私有地の地番とは関係がなく、林野庁独自の付番とのことで、また、それを土地台帳に登録することはないとのことであった。そして、別々で附番するために、それぞれが同じ地番を付すこともあると聞いた記憶がある。この一般的な回答が正しければ、官有林の地番は私有林の地番、例えば130番、とは無関係に営林署において適宜付けられるべきものであり、佐井村のように私有林の地番の続き番号であるかのような番号を営林署・営林局が官林地に付すということは不自然極まりないところなのである。 既に連載3の6ページで明らかにしているが、林野庁が主張する字牛滝川目での官林地の土地台帳登録内容を再掲すると、下記のようになる。
それから、不思議と言えば、上記した法律第32号のスタンプが、137番以外の国有林の土地台帳にはその記載がないことである。参考までに他の4筆の土地台帳を資料20「137番以外の国有地の土地台帳」として添付する。国有地が土地台帳に登録されていること自体が胡散臭いのであるが、137番には地租にかかる法律が明記されていることからさらにすこぶる不可解なのである。 とにかく、非常に怪しい話が一杯なのだが、あくまで林野庁内部のことで(土地台帳への登録自体はそうとも言えないが)、外部からは簡単には食い込めないところがあり、この問題については今後の宿題としておくことにする。 イ)堂の上の土地についての整理 ネットの連載記事を見られた方から、堂の上の土地取引と石山沢のヒバ林の関係が今一つ良く分からないとの指摘を受けた。この点は本事件の核心部分・出発点であることから、改めて以下の通り説明を加えておきたい。部分的にはこれまでの私の理解の修正も含まれている。 (1) 堂の上の土地の実態 この土地は、江戸時代から坂井家が所有していたそのあたり一帯の土地の一部であり、比較的平たん地で、昔から坂井家だけでなく村人が薪やその他の森の恩恵を受けるために出入りしていた土地である。そして、この土地は、牛滝港・牛滝部落から見て北東の位置にあり、南東の方角にあるヒバ林とは2キロメートル以上も離れたところにある(別紙1−3参照)。ただし、18代源八はそうした土地を坂井家が所有しているとの認識はあっても、その広さやその境界については具体的な知識はほとんど持ち合わせていない状態であった。また、かなり後になって判明したことだが、この堂の上の土地は字牛滝川目と字細間の境目にあり、何と、実際には字細間に属している(連載6及び8参照)。さらに、次に詳しく触れるが、この土地はそもそもが未登記なのである。 (2)堂の上の土地への杭設置の謎 そして既に連載6で述べたように、18代源八は、昭和35年に、この堂の上の土地を地元民のN氏に売却(実際には坂井弘氏の借金の清算のため)しようとしたのであるが、その対象地の正確な場所も周囲の境界もわからない状態であったため(当然、不動産登記については全く無知)、その対応を飛内測量士に任せることとした。そうしたところ、しばらくして18代源八の次男の三郎氏が飛内測量士に同行して売却予定の堂の上の土地に赴くと、既にそこに土地の境界らしい杭が打ってあった。飛内測量士からその杭に囲まれた土地の面積がおよそ3町歩であると聞かされた三郎氏が、N氏に「ここでいいか」と聞くと、「その内の海側の半分でいい」ということになり、18代源八とN氏間ではそうしたやりとりにより売却対象の土地を確定させている。ところで、その当時、佐井村周辺の山の取引は全て佐井営林署により仕切られていたことからして(事実上、法務局出張所の機能ないし公的な司法書士事務所のような機能を有しており登記に関する書類作成(押印を含め)を任されていた)、この杭も飛内測量士から相談を受けた営林署が次に述べるような思惑から、勝手に境界杭を打ったものとしか考えられないところなのである。要は、他に杭を打てる者も打とうとする者もいないのである。 (3)堂の上の土地を字牛滝川目130番とする禁じ手 このような背景から、登記については何も知らず、関心も有していなかった源八やN氏が知らぬ間に、営林署がこの字細間にある堂の上の土地を字牛滝川目130番の山林として移転登記をしてしまったという次第である。 (4)130番の官民境界査定図の捏造 そして、こうした土地売買の後数年以上がたって後に始まった130番の登記名義を取得した投資家との裁判に対処する際に、堂の上の土地が不動産登記上の字牛滝川目130番であるとの主張を確固たるものとせんとして林野庁が用いたのが、連載10で触れた資料13の字牛滝川目130番と題する土地にかかる官民境界査定図である。この官民境界査定図が明治27年の分筆に際して17代源八により税務署に提出された図面(資料5の測量図)と同一内容のものであるとしてすり替えのストーリーが作り上げられたわけであり、裁判所がそれを信じ込まされたわけである。そして、それを信じるためには、土地台帳付属地図がでたらめで信用できないと切り捨てるしかなく、裁判所は盲目的に林野庁のかかる主張に従い、それを実行したわけである。 (5)公図を信じ切った投資家たち 裁判において投資家が「当初の移転登記は間違ってなされたものだった。」とさえ言えば、さすがに過去の裁判の流れ・結果は大幅に変わっていたと思われるのだが(連載8の2ページ)、悲しいかな投資家としては、「元々は堂の上の土地の取引のつもりで間違ってなされた登記なのですが、その後に130番の登記自体はとんでもなく立派なヒバ林を意味することが判明したので(そのヒバ林を得るために移転登記を得ました)」とまでは、どうしても言えなかったわけである。ただし、裁判で当事者となった投資家は、坂井家から堂の上の土地を買った地元民から直接取引で購入したのではなく、130番なる地番が石山沢のヒバ林を意味することを知りその潜在的な(経済的)価値を信じて、恐らくは転売目的で、地元民から買い取ったであろう現地の事情に詳しい投資家から2次的・3次的に購入した(他都道府県)者たちであり、当初の売却事情の実態を知らずにひたすら土地台帳付属地図だけを頼って土地取引をなしていたものと思われる(連載7参照)その際には、まさか、裁判所により公図(土地台帳付属地図)の信用性が全面否定されるとは夢にも思わずに。その際、登記簿の面積と実測面積の差には気を止めたであろうが、「山林ではよくあること。どこかで折れあえばいい問題」といった理解であったと思われる。
―続く―
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