聞くより低し富士の山 | ||||
53.悲しき原発再稼働賛成派 2014/11/17 52.ノーベル賞と特許 2014/10/20 51.税の本質 2014/09/29 50.聞くより低し富士の山 2014/03/07 49.アベノミクス 2014/01/14 |
多分、高校生の時だったと思うが、幕末の動乱を前に土佐藩士(龍馬ではない)が、「来てみれば、聞くより低し富士の山、釈迦や孔子もかくやあるらん」と言っているのを知った。お釈迦さんと孔子さんには失礼だが、その通りだと強く感じたことがある。私は、小さい頃から、人の持つ能力の差などというものは、単に個性・得手不得手の差、あるいは置かれた立場の差であり、本質的な能力の差などというものは微々たるもの、ドングリの背比べだと感じてきていた。それで、幕末にこのようなセリフを吐いた人がいることに、ひどく、感服した。 今年の初めから、タイでは、反政府運動が盛んで、いまだに先が見えない状況のようだが、そこでの主張が面白い。「選挙では、正しい結果が出ないので、まず(選挙以外の方法で)特別な政府を設立すべきだ」と言っているらしい。何故、選挙が駄目なのかについては、どうも、選挙をすると、今の政府が基盤としている農村の人たちの投票が優勢で、反政府の基盤である都市の住民は数で負けるからというのが理由らしいのである。数で負けるから選挙はさせない、というのも良く分からない話であるが、農民の判断では良い政府を作れない、というのもわけのわからない話である。でも、この問題を突き詰めると、結構深刻な問題にぶち当たる。 実は、詳しくは知らないが、タイは、厳しくはないようだが投票強制制度を採用している。そのせいもあってか、普段の投票率は75パーセント程度と、日本の状況に比べれば、相当に高い数値が出ている。この高い投票率が、本当の問題を提起している、と私には思われる。インテリ、あるいは、指導的立場にいると思う人は、どうしても、自分たちに属さない人を下に見る癖がある。それで、そういう人が大量に投票するとよくない結果しか出せないという結論を出すわけである。それが、単に、自分たちに都合が良くないだけかもしれないということに気づかずに。 そして、今回、さらに詳しく調べて驚いたことがある。タイでは、投票制度の仕組みから、多くの人が投票するためにはその実家(故郷か)に帰らねばならず、それを促すためか、選挙の前後では交通機関の運賃が半分になったりするそうである。恐らく、農村を離れて都会で働く多くの人は、この投票の機会をとらえて故郷に帰り、昔の日本のお盆の時のように、皆が集まり、家族だんらん一族の集いを楽しんだ後、投票に行く、というわけであろう。ここまでその裏を知ると、テレビでよく話題にされる、赤シャツと黄シャツの争いというものが、より立体的に理解できる気がしてくる。そして、「ひょっとするとタイの投票制度は、(私が提唱する)祭りの会そのものではないか!」、と感じて、びっくりした次第である。そう、多分、結果としてなのだろうが、立派に投票に対するインセンティブが働いていることになるはずである。タイに先を越されてしまった。 |
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