知的財産権の保護 | ||||
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確か、昭和59年だったと記憶するが、ちょうど、コンピュータソフトの保護の在り方が世界的に問題になっていた時期のことで、ちょっとしたきっかけから、当時の通産省関係の委員会の後押しで米国にソフトの法的な保護のあり方につき調査に行く機会があった。調査と言っても、あちらの関係者数名と会議をした程度なのだが、その時感じたのは、「アメリカは、『どのような制度が自国に得か』という視点で検討を行っているな」ということであった。 そして、その後、すぐに、米国の肝いりでコンピュータソフトは『著作権』で保護されることとなり、特許権的な保護を考えていた通産省の考えは退けられ、日本でも当時の文部省の管轄である著作権法により保護されることとなり現在にいたっている次第である。 アメリカでは、どのような保護政策が自国(米国)経済に得か損かという視点で、少なくともそれを常に意識して、あるべき法の検討がなされていたのに対して、日本では、どっち(特許か、著作権か)が正しいかといった視点で議論がされていたきらいがあったことが、違和感として妙に記憶に残っている。 その時は、ちょうど、マイクロソフトが日の出の勢いで伸びていきそうな状況になりつつあった頃である。そして、アメリカは、ソフトを広く長く容易に保護(他を排斥)することがマイクロソフト(米国)の利益になると判断したはずであり、その後の流れは、正に、その通りとなっている。私が渡米した時は、ちょうどその判断(決定)をする直前であり、どの制度がどれだけ米国に有利をもたらすかの最終チェックをしていた頃であったと思われる。仮の話をしても始まらないが、もし、当時、日本のどこかの企業が、マイクロソフトのような立場に立っていたなら、その後の米国の立法政策は、今とは相当変わったものになっていたはずである。少なくとも、今のような過剰なソフト保護はあり得なかったであろうことは、間違いないと思われる。 このコンピュータソフトに限らず、今、知的財産権と呼ばれているものは、歴史的にはその時代の指導的立場の国が、『自国の利益に資するかどうか』を基準に決めてきたものであり、近頃の、『知的なものを法的に保護するのは法理論的に当然』といった素朴な議論は、どこか、おかしい。それに、そもそもそれらが知的というほどのものなのかも、はなはだ、疑問である。私には、むしろ、労働集約的成果あるいは気のきいた思いつきとしてしか映らないものが大部分である。 たとえとしては不適切かもしれないが、著作権のレッテルを張りながら実質隠れた特許権のように機能しているコンピュータソフトなどは、やくざのみかじめ料やその機能とよく似ている。特定の者の独占を保護し、そこから利益を吸い上げ、それを破るものに制裁を加えるわけである。確か、16・7世紀あたりの英国の国王が特定の商人に特権を与え、見返りに多額の上納金を得たのが特許権制度誕生のきっかけと聞いたことがあるが、その真偽は別にして、その生まれ素性については『なるほどな』という感じである。 特許や著作権を撤廃すべきと言っているのではない。薬も使いようによっては毒になるし、毒も薬になることもある。知的財産権と呼ばれるようなものをどのように保護すべきかは、法理論からではなく、社会のあり方から決まるに過ぎないことを述べたかったわけである。 |
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