風評被害とマーケットの力 | ||||
15.オリンパス問題と 監査法人 2011/11/10 14.内容証明郵便は 合憲か? 2011/09/28 13.無罪判決 2011/09/14 12.内閣の記者会見は バラエティ番組? 2011/09/12 11.首相が変わって 何がどう悪い? 2011/09/01 10.風評被害と マーケットの力 2011/08/01 9.裁判員は素人か? 2011/06/30 8.原発の安全性と マーケット機能 2011/06/09 7.昔の方が、まだ、 ましだった? 2011/06/02 6.ちょっと気分と角度を 変えて原発問題を考 えてみる 2011/05/19 5.科学的な地震予知? 2011/04/25 4.(福島)原発事故と 賠償責任 2011/04/18 3.地震で思い出した 祖母の話 2011/03/28 2.103歳のジャッジ 2011/02/02 |
原発事故に絡んで、『風評被害』という言葉が飛び交っている。何となく、本来影響を受けるべきでないはずの商品・サービスが、根拠なく、不当に、影響を受けている、といった意味で使われているようである。しかし、いかなる影響が相当で、いかなる影響が不当なのかは、分かったようでわからない話である。又、特定の者の意見を他人に押し付けるのも、これ又、おかしい気がする。そして、よく考えると、この風評というのは、マーケットの機能そのものではないかということに気づかされる。もちろん間違いもあるが、そうした試行錯誤をマーケットが行っているということであろう。 誰かが、権威的に、これは正しい(風評)、これはダメ(な風評)、と決めて、皆がそれに従うのでは、昔のソ連かどこかの国と同じである。そうではなく、いろんな人の意見が風評となって表れると考えれば、風評こそ信頼に足りる情報が機能しているということになろう。もちろん、その中身が公的に発表された見解と大きく相違しておれば、それは、公的な発表が信頼を得ていないということに過ぎないのであって、それを、風評という言葉で責任を外に向けているのでは、情けない。『誤解を避けるために公表を見送っていた』などという言い訳が後から後から出るようでは、誰も公の発表を信用しなくなるのは当たり前である。 何がどこまで安全かは、ごく限られた範囲では専門家が意見を述べ指導することができるであろうが、そんな専門家といえども、いろんな複雑な状況を網羅したような見解を正しく整理することは不可能なはずである。それを、無理やり分かったように説明をされても、他の情報源を持つ者は、ますます疑ってかかるだけである。専門家や公的機関は、こんな勝ち目のない争いに入るべきではなく、むしろ、風評なるものができるだけ正しく機能するように応援するのが、公の機関の本来の仕事であろう。要は、専門家の断片的な見解や公の発表がマーケットによりテストされ、その結果出てきているのが風評であるというぐらいに謙虚な姿勢であるべきなのである。 考えてみると、日本は、海外からいろんな非関税障壁があると、恐らくは今でも思われているはずである。これは、日本に限らず、大なり小なりどこの国にもあることであるが、そんな中でも、消費者に直接かかわる取引は、この非関税障壁を避けやすいと思われる。マクドナルドやケンタッキーの成功がそれを雄弁に物語っている。公的機関や特定の業界があれこれやろうとしても、直接消費者に売り込まれるものは、評判(風評)というテストによりふるいにかけられるので、公的なお墨付きが入り込も余地が少ないということであろう。放射能という消費者に直接影響するもの(商品そのものではないが)をどう評価するかも、公的な情報はその判断の一要素にはなるが、マーケットのテストを無視することは許されないということであろう。 |
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